「時短🟰スマート🟰正義」
スマホやクラシの知恵を発信していると、どうしてもそんな言葉が頭をよぎります。スマホに好きで色々情報収集していると、家電の情報も目にしてしまうので。そこでふと私なりに気づいた事、ブログにしました。
現代の三種の神器のひとつ、食洗機。
当然我が家にも、妻の意向で導入したビルトイン食洗機が鎮座しています。
どこの家にもよく付いている標準的な、それでいて十分な仕事をしてくれる頼れるやつです。
節水になる、時間が浮く、手荒れもしない。
理屈ではわかっています。でも、私はいつもスポンジを握り、蛇口をひねるのです。
お皿洗いは「身の回りの掃除」と同じ
なぜ、わざわざ手で洗うのか。
以前は食洗機の洗い残しが気になった。(原因は妻の詰め込み過ぎであるが…)本音はどうも違う。
しっくりくるのは、「部屋の掃除」と同じ感覚だということです。
散らかった部屋を片付けるように、汚れた皿を自分の手で綺麗にする。
自分の身の回りを整えるという行為を、すべて機械にアウトソーシング(外注)してしまうことに、どこか少しだけ抵抗があるのです。
「食事は綺麗に片付けるまで」
この当たり前のサイクルを自分の手で完結させることで、生活の重心がカチッと中心に戻るような、そんな感覚があります。
「効率」だけがスマートじゃない
もちろん、食洗機を否定するつもりは毛頭ありません。
仕事が山積みで余裕がない時や、家族との時間を一分一秒でも優先したい時、食洗機に頼るのは間違いなく「正義」です。あの箱が家事を支えてくれるおかげで、救われる夜があるのも事実ですから。
でも、もし数分間の余裕があるのなら。
効率化して浮いた5分でなんとなくスマホを眺めるよりも、無心で泡と向き合い、お皿をキュッと磨き上げる5分の方が、私にとっては「スマートな暮らし」に近い気がしています。
自分なりの「心地よさ」のライン
便利なツールは、使いこなしてこそ価値があります。
でも、「便利だから」という理由だけで自分のこだわりまで手放してしまったら、暮らしは少しずつ味気なくなってしまうかもしれません。
妻は洗う時は食洗機へ。私は洗う時はスポンジで、私の手で。
そんな、つかず離れずの距離感。
これが、私なりの、今のところの正解です。